熊本回顧録

「おはよう朝日」を見るのが朝の私のルーティン。
いつもと変わらず4月15日テレビをつけて驚いた。
「震度7」
のちに、これは前震である事がわかる。(学者によっては見解が違うらしい)
終日地震のニュースが流れる。
4月16日いつものルーティン。
まだまだ14日の地震のニュースかと思いきや、同じ規模の地震が再び起こった。
その時の私の心境は「大変な事が起きたな。自分自身は何もする事が出来ないだろうな。」などとポジティブな事を悶々と考えていた。
そんな時、一人の漢(SNS繋がりで面識もある美容師)が拳を突き上げた。

「熊本に行くぞ!!」

その投稿を目にした。
たった6文字を読み終わるか終わらないかの瞬間に決めた。

「自分も行く」

行くにあたり、色々な方々の色々な意見が飛び交っていたのを思い出される。そんな考え方を否定するなんてサラサラ無いが 私自身には、全く関係無かった。

そして、5月16日、震源地の益城町にある小学校に行かせていただく事が出来た。この時の率直な感想は以前ブログで綴ったので割愛しますm(_ _)m

その後、すぐ
またしても あの漢が 拳を突き上げた。

「6月5日に瓦礫撤去に行くぞ!!」

「すぐに、自分も行く」とカレンダーを見た。
日曜日だった。
予約表を見た。
既に ほぼ予約で埋まっていた。
ありがたい。
今回はお客さんを笑顔に。
6日は休みなのでその日に一人でボランティアに行こう。そう決めた。
先ずは、5日の最終便の飛行機を予約。
まだ行くまでに半月あるので、その間に ボランティアに関する事を手隙の時間に調べることとした。
連日、熊本の情報をネットで調べてるうちに あるワードを目にする事が屡々、それがだんだん気になり出した。
そのワードというのが「5月〇〇日から営業再開しました」や「6月〇〇日より営業再開します」であった。
私も商売人の端くれとして自分自身に置き換えたら
店を閉めたままにしておくということは途轍もなく不安で不安でしょうがない。
容易に想像がつく。
だからたぶん、無理しても店を再開するだろう。
ただ、はたして お客さんが来てくれるのか?
これも途轍もなく不安で不安でしょうがない。
そんな中、もし自分であれば 一人でもお客さんがあれば嬉しいやろうな。
そんな事を考えている中、熊本出身のお客さんと熊本の話をしていた。
その方が「熊本城には、数えきれんほど行った。」「今、阿蘇は山焼きが終わり一面新緑に覆われて最高に良い時期なんよ。」と、、、
その瞬間私は心の中で「決めた。阿蘇へ行く。阿蘇へ行って新緑を感じながら通行止めギリギリまで行き、再開している店に出来る限り行って、少しばかりお金を使う。」
阿蘇に行くのに足がないので、熊本市にあるレンタルバイクを予約することにしよう。
5月の最終に今回の熊本行き(ボランティアという言葉は使わないでおこうと思う。)のプランがようやく決まった。
ひとつは、阿蘇の通行止めギリギリまで行き この目に焼き付ける。そしてその近辺にあるお店に少しばかりのお金を使う。
もうひとつは、地震が発生してから当店でも、沢山のお客さんや友人から義援金を預かり、本来は5月に熊本に行った時に、どこかに渡せば良いと簡単に考えていました。しかし、人の思いの詰まったお金は自分が想像してたより遥かに重いお金でした。だから使途不明になるのが途轍もなく嫌で一度持ち帰りました。しかし、決めました。そのお金を熊本のシンボルの熊本城に使って欲しいと思うようになったので、直接届けることにする。
そして最後に、前回熊本に行った時に何の面識もない私に くまモンのマグカップ(私の宝です)をくださったNさんに眼を見てお礼を言う。
この3つが今回の私のミッションです。
折角なので、仲間が5日に瓦礫撤去に行っているので夜メシでも と思い連絡をとりました。すぐに返信があり「是非行きましょう!その日は熊本空港に迎えに行きますよ!」と『瓦礫撤去で疲れるの目に見えてるのに、なんちゅう(なんて言う)奴や』と思いながらも その熱い気持ちを受け入れさせてもらう事にした。
しかも「6日俺らも一緒に阿蘇に行くわ」と、、、              嬉しかった。

それから阿蘇の通行止め情報やお店情報などを調べていた。そんな中 携帯にメッセージが、、、

「夜中に緊急搬送され、今 検査入院中です。」と

ショックだった。

一緒に行けない事では無く 短い間ではありますが苦楽を共に感じてきた畏友の一人が緊急搬送の報告。

家族が倒れたのと同じ感覚である。

その後少し落ち着いたのかメッセージが届いた。
と偉そうに言ったものの、いろんな事が雑音のように頭の中を駆け巡る。

阿蘇で頑張る瓦礫撤去の邪魔にならないだろうか?
こんな時にツーリングに来んなよ!
などなど またしても自分のネガティブな部分がチョイチョイ出てきては引っ込む。それを繰り返していた。
しかし、何をするにも結局 自己欲求を満たすためにやる事なので、腐心しながらも初志貫徹。

当日の準備を少しずつ進めていると、事態は急展開。
マジで!
ウソでしよ!
無理でしょ!

率直にそう思いました。

この漢に何を言うてもこの手の類の事は聞かない事を知っているので
「無理せんようにね。」とだけ伝えました。

そして熊本行き当日の朝、はやる気持ちを抑え、目の前のお客さんに集中し
いざ出発。

熊本空港に到着、あの漢とその相棒の二人が空港に迎えに来てくれていて 感動の再開!

と思いきや 勿論嬉しく ハグもしたものの 毎日会っているような感じで スンッと迎えの車に乗せてもらい市内へ

彼らの本日の出来事と明日の事をあてに熊本の夜を過ごしました。

翌朝、阿蘇に向けて出発。迂回路を通りながら先ずは、道の駅阿蘇を目指しそこから米塚方面へ、その前にガソリンスタンドで給油。
そのスタンドでお兄さんの話を聞かせていただくことができ 心臓を握り潰されるような感覚になった。
本人は最後に「自然災害ですから仕方ないですね」と締めくくり仕事に戻った。

スタンドを出て一本道を登って行くと 阿蘇名物 あか牛30頭ほどが のどかに昼寝をしていた。人の気配は一切ない。先程まで眉間にシワを寄せていた3人の顔がかなり緩んだひとときだった。

あか牛と別れ更に車を走らせると、いよいよ そこからは通行止めの場所に着いた。夏目漱石の中編小説「二百十日」の記念碑がたつ登山道入口付近であった。立春より二百十日目には、あたり一面が薄で埋め尽くされるんだそう。今は、見事な新緑で埋め尽くされていた。
その通行止めの場所に1人の青年が警備をしていた。その青年にあの漢が話しかけに行く。暫くして青年は警備用の赤い棒をおもむろに下に置いて握手をしてハグをしていた。少し離れていたので声は聞こえなかった。仲間の漢が泪をながしながら車に乗った。警備の青年は見えなくなるまで手を振ってくれていた。
車の中で彼の凄まじい話を聞き、再度体の左半分が痛かった。
その中で印象に残った言葉は

「一日中誰も来るはずのないところに来てくれて、凄く嬉しい」

「自然災害だから仕方ないですね」

その場を離れる時、女手一人でずっと運転してくれていた彼女と運転を替わった。
そこから南阿蘇村を目指し車を走らせた。

南阿蘇村への迂回路を通っていると「はちみつ牧場」の看板が目に入った。確か、私の記憶では「6月2日から営業再開します」と書いてあり是非寄ってみたい所だったので、迷わずハンドルを右に切りました。そこには、立派な建物があるのですが、お客さんに何かあったらいけないのか大きな駐車場の片隅に小さなプレハブ小屋に商品と男性一人が営業してました。「牧場で採れた蜂蜜ありますか?」と尋ねると「あと二週間したら用意出来ます」ということだったので、そのプレハブ小屋の至る所にポスターが貼ってあった「マヌカ蜜」という蜂蜜を買わせてもらい、南阿蘇村目指し車を走らせました。
蜂蜜牧場の男性が言っていた沢山話をさせてもらった中で特に印象に残ったのは、「今日も お客さん一人も来ないと思ってました。」と笑顔で話されていた一言です。最初に書いたが、途轍もなく不安で不安で仕方がない気持ちをその一言で感じる事が出来た。

その後南阿蘇の通行止めの手前まで車を走らせた。通行止めの先は見る事が出来ないがテレビやネットで見る様な景色が容易に想像出来る事はなく当たり前ではあるが危険地帯からかなり手前で通行止めにしているのがわかるほど穏やかな空気感に感じた。

南阿蘇村から市内に戻ろうとナビをセットし、途中で阿蘇名物あか牛をどっかで食べようと車を走らせた。暫く走るとトンネルが通行止めになっていた。(のちに このトンネルの通行止めが、私たちに大きなプレゼントをくれることになる。)仕方なく目的方面とは逆に走り 大回りをすることにした。

穏やかな風景を眺めながら走っていると「アイスクリーム食べたい」
確かに今通り過ぎた小さなプレハブ小屋に「アイスクリーム」という見落としそうな看板が立ててあった。
普段奥ゆかしい彼女が叫ぶので躊躇なく折り返しその店の敷地に車を停めた。ここで一生忘れる事のない体験をさせていただいた。ここに書くと思い出して手が震えて書く事が出来なくなるので、文房具ハサミで二人の女性のカットをさせてもらったということだけ書いておこう。
その店で【あか牛情報】と【市内への迂回路情報】を聞き、早速ランチへ。

「あか牛の館」で「がんばっとるばい!南阿蘇復興定食」をいただきました。こんなとこで書くとウソくさいかもしれませんが、敢えて書かしてもらうと メッチヤックッチャ旨かった!!ウソやと思ったら行ってみ!

食欲を満たして次の私のミッション。
熊本城災害復旧支援金を直接手渡す。それに向け、いざ熊本城横の市民会館(震災により仮事務所)へ。

担当の方に 皆さんの思いのこもった義援金を直接渡す事ができ 伝えたい事が山程あるのに声にならず情けなかった。正直な思いとすれば やっと渡せた安堵感が込み上げて喉の奥が引き締められ声にならなかったのかな。

そして、最後のミッション。Nさんに礼を言う。当たり前だが、これはNさんが忙しく叶わなかった。次回に持ち越しです。

最後に震源地の益城町の町を歩いて、地元の方と色んな話を聞き、再度胸を締め付けられ、やはり「自然災害だから仕方ないですね」という言葉を、、、

空港まで送ってもらい。無事我家へと帰ってこれました。

今回、私の勝手な欲求を満たしてくれた熊本県。Thank you so much💖

すっかり熊本にドハマりしてしまいました。何回も行きます。家族旅行にツーリング。

あと、もうひとつやり残した事もあるしね!

終わりです(^з^)-☆

ノブー ブログ

美容院で使われている薬剤やシャンプーなどの歴史は100年も無い。 急速に発展した。 自然に与える影響は未知数だ。 自然を 子供、孫、玄孫 達に残してやりたい。 美容師として何ができるのか・・・ 正面から向かい合う。 世界平和に繋がると信じて。。。

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